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旅行と手帳

東 秀紀(あずま ひでき、1951年-)は、和歌山市生まれの作家、都市計画家。首都大学東京大学院都市環境学部教授。早稲田大学理工学部建築学科卒、ロンドン大学建築・計画学部都市計画学科大学院博士課程前期修了。英国王立都市計画家協会会員。一級建築士。1994年『鹿鳴館の肖像』で歴史文学賞を受賞。2001年日本建築学会文化賞を受賞。 [編集] 著作 「異形の城」(講談社) ISBN 4062120267 「荷風とル・コルビュジエのパリ」(新潮選書) ISBN 4106005336 「鹿鳴館の肖像」(新人物往来社) ISBN 4404024185 「陽が開くとき―幕末オランダ留学生伝」(日本放送出版協会) ISBN 4140054921 「漱石の倫敦、ハワードのロンドン―田園都市への誘い」(中央公論社) ISBN 412101037X 「東京駅の建築家 辰野金吾伝」(講談社) ISBN 4062113627 「優しい侍」(講談社) ISBN 4062097702 「二つの東京物語」(講談社) ISBN4062066645 「ヒトラーの建築家」(日本放送出版協会) ISBN 414005347X 「もう一つの『舞姫』」(新人物往来社) ISBN 4404028530 青山 真治(あおやま しんじ、男性、1964年7月13日 - )は、映画監督、小説家。 目次 [非表示] 1 来歴・人物 2 監督作品 3 著書 3.1 小説 3.1.1 単行本未収録作品 3.2 評論・対談 4 外部リンク [編集] 来歴・人物 福岡県北九州市出身。北九州市立緑ヶ丘中学校、福岡県立門司高等学校を経て、1989年立教大学文学部英米文学科卒業。立教大学映画研究会出身。在学中は蓮實重彦に学び、深い影響を受けた。 卒業後はフリーの助監督として、ダニエル・シュミット、黒沢清などにつく。1995年オリジナルビデオ『教科書にないッ!』で初監督。地元、福岡県の門司を舞台にした『Helpless』で商業映画デビュー。 監督作品『EUREKA』で、カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞・エキュメニック賞を受賞。『レイクサイド マーダーケース』では、初の娯楽作品に挑む。 ジャン=リュック・ゴダール、神代辰巳、中上健次などをリスペクトしている。 小説家としても活動し、2001年には自作のノベライズ小説『EUREKA』で第14回三島由紀夫賞を受賞している。また、2005年には『ホテル・クロニクルズ』で第27回野間文芸新人賞候補にノミネートされた。 妻は女優のとよた真帆。 [編集] 監督作品 教科書にないッ! 1995年 (オリジナルビデオ) Helpless 1996年 我が胸に凶器あり 1996年 (オリジナルビデオ) チンピラ 1996年 WiLd LIFe jump into the dark 1997年 冷たい血 AN OBSESSION 1997年 June 12 1998 1999年(ドキュメンタリー) シェイディー・グローヴ 1999年 EM エンバーミング 1999年 EUREKA 2000年 路地へ 中上健次の残したフィルム 2000年 (ドキュメンタリー) 月の砂漠 2001年 名前のない森 2002年 (テレビドラマシリーズ『私立探偵 濱マイク』第6話) なんくるムービー あじまぁのウタ 上原知子─天上の歌声 2002年(ドキュメンタリー) Noと言える刑事 2003年 (オムニバス『刑事(デカ)まつり』) 軒下のならずものみたいに 2003年 TRUNK 2003年(Webシネマ) 秋聲旅日記 2003年 レイクサイド マーダーケース 2004年 エリ・エリ・レマ・サバクタニ 2005年 AA 2006年 こおろぎ 2006年 サッド ヴァケイション 2007年 [編集] 著書 [編集] 小説 ユリイカ─EUREKA 2000年12月24日、角川書店、ISBN 9784048732673 2002年6月25日、角川文庫、ISBN 9784043656011 月の砂漠 2002年12月25日、角川書店、ISBN 9784048734318 2005年7月25日、角川文庫、ISBN 9784043656028 Helpless(2003年10月30日、新潮社、ISBN 9784104631018) Helpless(『新潮』2002年4月号) わがとうそう(『新潮』2003年6月号) 軒下のならず者みたいに ホテル・クロニクルズ(2005年3月15日、講談社、ISBN 9784062126519 ブラックサテン 交響(『新潮』2003年1月号) 砂浜に雨が降る(『新潮』2004年1月号) Radio Hawaii 蜘蛛の家(『群像』2004年4月号) 地上にひとつの場所を!(『群像』2004年10月号) 白猫 死の谷'95(2005年11月20日、講談社、ISBN 9784062131520) 初出:『群像』2005年7月号 雨月物語(2006年7月、角川学芸出版、ISBN 9784046210784) サッド・ヴァケイション(2006年7月30日、新潮社、ISBN 9784104631025) 初出:『新潮』2005年9月号 エンターテインメント!(2007年5月30日、朝日新聞社、ISBN 9784022502865) エンターテインメント 底流 夜警(『群像』2006年10月号) 焼土 刺青の男(『小説トリッパー』2007年春号) [編集] 単行本未収録作品 遊水池の眺め(『早稲田文学0』) 天国を待ちながら(『群像』2007年9月号) 見返りキメラ(『新潮』2008年3月号) [編集] 評論・対談 ロスト・イン・アメリカ(共著、2000年4月25日、デジタルハリウッド出版局、ISBN 9784925140195) ヴィム・ヴェンダ−ス(2000年6月、キネ旬ムック、9784873765419) われ映画を発見せり (評論集、2001年8月8日、青土社、ISBN 9784791759033) 青山真治と阿部和重と中原昌也のシネコン!(2004年7月28日、リトルモア、ISBN 9784898151327) 債務整理 阿川 弘之(あがわ ひろゆき、1920年(大正9年)12月24日 - )は、日本の小説家、評論家。学歴は東京帝国大学文学部国文科卒業。学位は文学士(東京帝国大学)。称号は広島県名誉県民。日本芸術院会員。栄典は文化勲章受章。賞歴は野間文芸賞、毎日出版文化賞、読売文学賞など。役職は日本李登輝友の会名誉会長。代表作に、『春の城』『雲の墓標』のほか、3部作『山本五十六』『米内光政』『井上成美』など。 息子は法学者阿川尚之、娘はタレント・作家阿川佐和子。 目次 [非表示] 1 来歴・人物 2 エピソード 3 受賞歴 4 主な著書 5 CM 6 家族 親族 7 系譜 8 脚注 9 関連項目 10 関連人物 11 参考文献 12 外部リンク 結婚式演出、結婚式サプライズ [編集] 来歴・人物 広島市白島九軒町土手通り(現中区白島九軒町)に実業家の父阿川甲一・キミの長男として生まれる(本籍地は山口県美祢市伊佐町)。母は大阪出身で生家は刀剣商であった。 偕行社附属済美小学校、広島高等師範学校附属中学校、旧制広島高等学校を経て東京帝国大学文学部国文科を繰り上げ卒業。卒業論文の表題は「志賀直哉」。 海軍予備学生として海軍に入隊する。1943年に少尉任官、軍令部勤務を命ぜられ、わずかだが中国語ができたため特務班の中でも対中国の諜報作業担当であるC班に配属される。 中尉に進級した直後の1944年「支那方面艦隊司令部附」の辞令が出る。 1945年の終戦を中華民国湖北省漢口で迎える。埼玉 一戸建て 1946年2月いまだ現役かどうかはっきりしないポツダム大尉という身分で揚子江を上海へ下り3月末博多へ上陸復員する。大陸から引き揚げ、広島市への原子爆弾投下により焼き尽くされてしまった故郷の街を見る。戦友も多くを亡くした。「自分は生き残ってしまった、と言う無常感が根付いてしまった」。 志賀直哉に師事して小説を書く。1953年、一作でいいから、自分達同期生の戦時中の海軍生活をありのまま描いたものを残したい、と亡き友らの鎮魂の思いで描いた『春の城』で読売文学賞を受賞した。 横浜マンション 海軍予備士官当時、呉港の沖合いに停泊中の戦艦大和を見た経験から、それを小説に書こうとしたが、新潮社の担当編集者に「そんな陰気くさい話を書いても売れません」と拒否される。しかし、吉田満『戦艦大和ノ最期』がベストセラーになると新潮社の担当は態度を変えて阿川に軍艦ものの執筆を依頼する。この時生まれたのが『軍艦長門の生涯』である。この作品を阿川は武蔵の乗員として戦死した同期二人に奉げる思いで執筆した。以後、原爆や海軍などの自らの戦争体験を通して、戦争の悲惨さや、生きる意味を人間の内面の実感を通して暖かい視線で描いている。 高速バス、夜行バス 文部省臨時大学問題審議会委員、文化功労者選考審査会委員を歴任。1999年、文化勲章受章。また、日本芸術院会員。2001年12月から2004年4月まで、日本李登輝友の会・初代会長を務める(現在は名誉会長)。 札幌 ビジネスホテル [編集] エピソード 父は山口県出身、母は大阪出身であり阿川一家の本籍は今も山口県美祢市に在るため広島県人会から会の案内など送られて来ると多少の違和感を覚えるという。少年時代、学校では広島弁、家へ帰るとそれに大阪アクセントの相当まじった言葉、両方使い分けていたという[1]。 沖縄旅行 兄幸寿は父の庶子でありハルビンの日本料理屋の抱へ芸者たちの髪を結う髪結女との間に出来た子供で、のちに母が引き取って養育したのだと小学生の時母から打ち明け話を聞かされショックを受けたという。兄幸寿は京大経済学部を卒業後満鉄に入社し後に満州国官吏に移籍して安東の市長をつとめた[2][3]。 二・二六事件の際にはひどく興奮し帰宅するなり母親に向かい「こういうことは大嫌いじゃ。無茶苦茶じゃ。これじゃけぇ陸軍はいやなんじゃ。」不用品回収、粗大ゴミ、粗大ごみ と大声の広島弁でまくし立てた。この発言の時、阿川家では父親がいつもの通り、奥座敷で丸橋さんという近所の退役陸軍大佐と碁を打っており、母から「大きな声を出しなはんな、丸橋さんに聞こえたら悪いがな」と小声でたしなめられたが、阿川は「何が悪いもんか、聞いてもらったほうがいいのだ」と胸のうちで思っていたという。二・二六事件とその歯切れの悪い後始末を見て以後、徹底的な陸軍嫌いになったという[4]。





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